ソルトコーヒーブログ

コーヒーに関することの豆知識や日記など書いていきます。

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ウィーンの珈琲について語るとき、覚えておきたい人物がいます。その名はフランツ・ゲオルグ・コルシツキー。彼こそがウィーンをカフェの街とならしめた人物なのです。
 時は1638年。ウィーンの町はトルコ軍に包囲され、陥落寸前の状況にありました。その危機を救った英雄がコルシツキーのコーヒー・ハウスに勤めていた経験を持ち、トルコの言葉や習慣に精通していました。その知識を生かして、彼はトルコ軍の包囲網を突破し、友軍との連絡に成功したのです。
 コルシツキーの活躍によってロレーヌ公園とポーランドとの連合軍がウィーンの街へ駆けつけ、トルコ軍を撃退しました。トルコの軍人達は退却する際、大量の備品を残していきました。その中に200キロの珈琲豆があったのです。
 当時、ウィーンにはまだ珈琲が伝わっていませんでしたので、人々はトルコ軍の奇妙な忘れ物をどう扱って良いものか思い悩んだことでしょう。そこでコルシツキーはコーヒー・ハウスでの経験を思い出し、すべての珈琲豆を率先して引き取ったのです。彼は褒美の金貨で土地を買い、トルコ軍の忘れた珈琲豆で、ウィーン初のカフェを開きました

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現在では世界数十カ国から珈琲を輸入している日本ですが、かつては輸入量ゼロのコーヒー暗黒時代がありました。原因は太平洋戦争です。昭和16年の開戦から輸入量は激減し、とうとう19年にはゼロへと至ったのです。
当時,珈琲は敵国の飲み物であり、それを飲む人間は非国民と扱われました。しかし珈琲の美味しさを一度知ってしまった人達は我慢が出来なかったのでしょう。
珈琲にいくらかでも近い苦味や香りを追い求めて、様々な試行錯誤を繰り返しました。それが代用コーヒーです。
 チコリはフランスの代表的な代用コーヒーですが、日本では百合やタンポポの根、カボチャの種、サツマイモの屑、更にはドングリの実までを代用コーヒーにしていました。
真っ黒に焦がしたこれらの材料をお湯に溶かして珈琲に似た色や苦味を味合う・・・・。
戦後、アメリカ軍が所有していた珈琲が日本政府に引き渡されると、その放出珈琲をめぐって激しい争奪戦繰り広げられたそうです。一刻も早く本物の珈琲を飲みたくて仕方がない人が大勢いたのです。結局、珈琲豆の輸入が再開されたのは昭和25年になってからでした。
コーヒー暗黒時代が二度と訪れないように、私たち一人一人が世界の平和を考えていきたいものです。

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